vol.04 死生学×デザイン「山崎浩司さん」

160801yamazaki-02.jpg

インタビューの第三弾は、死生学がご専門の山崎浩司さん(信州大学)にお話を伺いました。人間にとっては避けることのできない「死」を、私たちはどのように受け止めれば良いのでしょうか。答えのない問いに対して、「問題を解決する」というアプローチには限界があります。そこで緩和ケアでは、解決はできなくても、最善を尽くしつつ、どうしようもないこととは折り合いをつける方法を考えます。そうした方法を、人びとが支えあうしくみとして地域に根づかせていくことは、まさにデザインにとっての課題でもあります。

 

1.「死」にどう向きあうのか

南部:山崎さんは2011年に信州大学に移られて、こちらで実践的な活動もいろいろとなさっているのですよね。今日は、人間の生と死というテーマとデザインがどのように関係するのかを探っていくことができると良いなと思っています。

山崎:はい、学生たちと県内で緩和ケア病棟のある病院を訪問して地域の緩和ケアについて考えたり、長野に来てから知り合った地域の方々と一緒に、死別体験者を支援する活動したりしています。
 たとえば、こういう冊子をつくりました。
『大切な人を亡くしたとき[1]といって、これは長野県・中信地方版なのですが、スコットランドに調査に行ったときに知ったWhen someone has died: information for youという冊子がモデルになっています。これの日本版をつくりたいと思って地域の方に声をかけたら、当事者の方や市民活動をしている方、さらに司法書士の方とか、看護師さんとかいろいろな背景の人たちがどんどん集まってきて、みんなで翻訳をして、ちゃんと日本の社会状況、もう少し言えば信州の地域的な状況にあったものに自分たちで変えていこうということになって、こういう冊子になりました。月に1回か2回のペースで集まって相談し、2年間くらいかけてつくっていったんです。
 まず暫定版をつくってからワールドカフェを開いて、この地域にいらっしゃる当事者の方たち、つまり大切な人と死別された方たちに集まっていただいて、意見やツッコミをいただいて修正を加えていきました。それからどんどん人が集まってきたので「月例会をやろう」という話になり、定期的に集まる場と機会ができて、今は活動がある程度サスティナブルなかたちになってきています。

南部:なるほど、持続できるかたちをつくるのは大事ですよね。

山崎:そうなんです、持続するためのしくみをデザインしないといけない。とくに「死」というテーマは、やはりいまだに社会的には忌避されているところがあります。死別の問題は「自分でなんとかするものだろう」とか「身内でなんとかすべきで、よそ様が関わるものじゃない」という意識がありますし。たとえばこういう活動に、連続講座の受講生として参加されるような方でも、自分が支えあっていく側にまわろうというふうにはなかなかならないんですよね。

水内:今うかがったような、「死にどう向き合うか」「地域の中で支えあうか」という、しくみづくりへの興味は増してきたのではないかと思うのですが、たとえば現代のような社会ができる以前、もっと村社会だったような時代と今とを比べて、なにが変わってきていると思いますか?

山崎:村社会と呼ばれるような社会では、良い意味でも悪い意味でも死別に直面された方がほおっておかれることは少なかったのではないかと思います。村社会はとても緊密な人間関係のネットワークでできていますから、嫌でも誰かがお節介でかかわってくる。ただし、裏返すと、一人で自分なりのかたちで悲しむことは許されていなかった社会だと思うんです。

水内:たしかにそうですね。

山崎:ただ、誰かがかまってくれて物理的に孤立しないから、その当時のほうが死別の悲嘆が楽だったかというと、違うのではないかと思います。以前は、「悲しみ方の型」みたいなものがあったと思うんです。
 たとえば村社会は文化の慣習を持っているので、埋葬に際しては「野辺送り」と呼ばれるような、村や部落総出で棺を神輿みたいにしてのぼりを立てたり、飾りをつけたりして、皆で墓場まで練り歩いていくという儀礼がありました。葬儀や通夜もそうですが、そういう儀礼の中で決まったかたちの中で悲しむんですよ、という型が与えられていた。そこはある意味楽だったと思います。
 ただ、中には、型にあわない人もいるわけです。型が押しつけられることによって、死別の悲しみに加えてさらに傷ついていた人もいる。そういう人達にとっては、型があってももっとつらい、というようなこともあったのではないかと思います。

宮田:意外ですね。型があった時代は、親族一同で葬式や通夜やることで自然と悲しみも収まっていたのかなと想像していました。でも、感じ方は人それぞれなので、たしかにそういうこともありそうです。昔の方が良かったというような単純なことではないんですね。では現代の方が良い状況なのかというと、そういうことでもないんでしょうか。

山崎:現代では、地縁も血縁もとても希薄になったと言われます。親密な関係性や、誰かが嫌でもかかわわってくるような関係性が解体したということだけでなく、儀礼が消えてしまったことで、悲しみ方の型も一緒に消えてしまったんですね。ある意味では、自由に悲しめるようになりました。ですが、あまりにも自由すぎるので、自分の悲しみ方は異常なのか適切なのかということに自信が持てなくなってきていることが問題ではないかと思います。そういった意味で、もしかしたら型のあった時代よりも苦しい状況になっている可能性はあります。さらに、嫌でも人が関わってくるという関係性がなくなってしまったので、親しい人の死に直面しても、孤立したうえに自分の悲しみのあり方が正常じゃないかもしれないという不安が増してしまった。
 ただ、昔だったらネットワークといえば地縁か血縁しかなかったんですが、今はインターネットの時代になので、そこに違いがありますね。互助グループとか自助グループとか呼ばれる互いを支えあう集団の成り立ちも、いきなりフェイス・トゥ・フェイスで始まるというよりは、ネット上で「ああこういうグループがあるんだ」と見つけて、地域や距離を超えてつながっていき、支えあうことができるようになりました。

  

2.支えあうしくみ

水内:互助と自助という言葉が出てきましたね。ちょっと気になります。

南部:助けあうしくみということで言うと、自助、互助、共助、公助、といろいろありますよね。

山崎:そうですね。英語で考える方がわかりやすいかもしれません。自助をself care、互助をmutual careと訳すとすれば、共助はcooperationになるでしょうか。

水内:共同の共ですよね。

山崎:はい。公助は、public assistantないし supportという訳になるでしょうか。

南部:日本の公助のしくみは充実してきていると思うんですが、今後はそれが成り立たなくなるだろうとも言われていますね。

山崎:そうですね。公助と共助のミックスである日本の社会保障システムというのは、良く機能しているところもあります。ジニ係数という指標があって、0から1の範囲で、所得配分の不平等さを表します。0に近いほど公平で、1に近ければ格差が大きい、という意味です。調査の方法にもよりますが、アメリカだと0.9くらい、日本は0.5くらいです。日本では厚生労働省が毎年調査していますが、たしかにジニ係数はどんどん1に近づいている一方、社会保障でどれだけサポートできているのかという調整を入れると、ジニ係数はあまりあがっていっていないんです。つまり、格差が広がらないように社会保障が機能している部分があります。社会保険、医療保険、年金保険、労災保険などは共助で、社会福祉や生活保護のように財源が税金のものは厳密にいうと公助と分けられると思うのですが、日本の場合は共助と公助にまたがった複雑なシステムになっていると思います。

水内:共助というのは、皆がお金を預けあって、なにかあった時にプールしたお金から使うというしくみですよね。

南部:互助の方は、中心が管理していない助けあい、というイメージがあります。

山崎:そうですね。一応、地域包括ケアでは、そういう4つのタイプのサポートにわけて考えるんですが、力を入れていきたいのは互助のところなんです。都市化の進行などによってどんどんと希薄化していってしまった人と人とのつながりに、新しいかたちでつくっていきたい、と。

水内:その互助をするプレイヤーというのは、たとえば大事な人を亡くされたとか、病気だという方とかだけではなく、医療関係者ではない人もそこに入ってくるということですか。

山崎:ええ、本当はそうですよね。ただ、地域包括ケアで中心になりがちなのは、やはり医療者が地域でどういう役割を果たすのかといった話のようです。メインプレイヤーとして地域の一般の人が位置づけられているかというと、どうもまだそこははっきりしない。ただ、現実問題として、たとえば認知症の方がどこかに徘徊してしまったというような時に見つけてくれるのは、医療者でも専門家でもなく、地域の普通の人ですよね。そういう意味では、地域のなかで互助の力が発揮されるようなしくみづくりは期待されています。

宮田:今の世の中では、たとえば貧困の問題などに対しては、「国や行政がもっとなんとかしろ」という批判になりがちではないかと感じます。と同時に、対極的ですが、個人の家庭のことは「人に迷惑かけず自分でやれよ」みたいなムードもある。互助のしくみがないというよりも、皆の意識にないことが問題なような気もします。

山崎:それはやはり、私たちがプライバシーを手放したくないという理由があるんだと思うんです。自分を殺して集団に合わせないといけないような共同体から都市に飛び出すことによって獲得したものって、やはりプライバシーではないかと思います。都市では、自分の家庭に閉じこもっていれば絶対にプライバシーは守られる。他人とかかわることで、なにかあったときに助けてもらえるというのはあるかもしれないけれど、それ以上に、自分のプライバシーを失いたくないという意識が強く働いているんではないでしょうか。

宮田:プライバシーか互助か、という二択になってしまうと厳しいですね。単純に、前近代的な村社会的なコミュニティに戻ったら良いですよ、というわけにもいかないですし。
 ちょっと話がそれてしまうのですが、最近、携帯電話会社のウェブサイトで、子ども向けの「見守りケータイ」みたいな製品の紹介ムービーをたまたま見たんです。そのムービーでは、冒頭でまず子どもの安全を守るための見守り機能が紹介されていて、その後に「電話もできちゃう!」みたいな説明が出てきて、むしろ電話の方がオマケみたいな扱いになっていることにびっくりしてしまいました(笑)。これが良い例かどうかは別としても、プライバシーを守りつつ、互助とも違うアプローチで身の安全を確保しようっていう、村社会に戻すのとは違うアプローチもあるのかもしれないと思いました。

山崎:「私」のプライバシーを独立的に保ったまま、相手に合わせなきゃいけないとか自分を殺さなきゃいけないとかではないつながり方を模索していく必要がありますね。そこが、今のところはまだ上手くできていないところです。今はまだ、共通体験というところでつながるかたちなんです。つまり、大切な人を失ったとか、そういった人達をサポートしたいという想いを持っているとか。そこから先、持続的にお互いに助けあっていくしくみというのは、そんなに簡単ではないですね。

水内:「お互い」という、一方的ではない関係がおもしろいですね。与えられていて、また得るものがある、なにか交換していたりもするという。普通のことなんですけど(笑)。お医者さんに助けてもらいにいく、という場合のような上下の関係もない。そういう関係のあり方というのはおもしろいですし、デザインの話にもなる気がします。

南部:ここで無理矢理デザインの話につなげると(笑)、昔は民芸品みたいなものとして、村の人が自分たちでわらじをつくったりすることがありましたよね。でも近代デザインの時代になって、製品を生産する立場と消費する立場という関係性ができました。やっぱり今から皆がわらじをつくれる社会になろうといっても、無理ですよね。そう考えると、山崎さんの実践的な活動は、新しいしくみを社会にインストールする方法をデザインしようとしていらっしゃるように見えます。

山崎:そうですね、まずはつながり方が地縁である必要はないというのは大前提としてあります。たとえばインターネット上のfacebookでもLINEでもなんでも良いんですけれど、志し(こころざし)を一緒にしているという共通項がある。地縁でも血縁でもなく、志しは一緒という「志縁」。そういうつながり方がひとつありますね。

南部:テーマ・コミュニティですか。

山崎:そうです、まさに。志縁的なものをベースに、自分の住んでいる地域で同じようにつながれる人、というのを探してつながっていくというのは、どうしても必要だと思います。ネットだけでOKと言い切れないのは、やはり、生活をしていく物理的な人間、人と人とのかかわりの中で生きて死んでいく人間として、やはりオンライン上だけのつながりでは不自由だからです。ひきこもりっぱなしでネットだけでつながるのは、支え合いのコミュニティとしてはなかなかうまくいかないですね。

 

3.プラットフォームをどうつくるか

南部:活動されてきた中で、これは上手くいったとか、これはまだまだ課題だなとかっていうのはどういうところでしょうか?

山崎:ワールドカフェ的なものはうまくいったなという感じがしました。大切な人を亡くしたという当事者だけではなく、そういう人たちを支えたいという人も、ワールドカフェという場では死や看取りについてオープンに考え語り合えるので、集まってくるんです。逆に難しいのは、当事者同士の「分かちあいの会」ですね。

水内:えっ、どうしてなんでしょう?

山崎:「分かちあいの会」にいらっしゃる方達というのは、みずからが支援をすごく必要だと感じている人達なんです。でも、自分の死別悲嘆に向き合って、ある程度折り合いをつけられた人じゃないと支援する側にはまわれないんですよ。それが理由ですね。
 だから最近、「ケアラーのケア」ということも言われています。介護者のケア。ケアしたり介護したりする側がきちんとケアされていないと、ケアはできない。当たり前の話なんですが、なかなか気づかないですよね。
 ただ、「分かち合いの会」を細々とでも続けていって、とぎれとぎれでも繰り返し参加してくださる方達が出てきて、その方達が何らかのかたちで自分のグリーフと折り合いをつけていった時に、「じゃあ今度は自分が」というかたちで関わっていってくださるんじゃないかと期待しています。理想としては、地域の人たちの当事者同士で「分かちあいの会」が普通に定期的に開催される、というのが成功かなと思うんですね。

宮田:直接的に支援するのではなく、自律的なプラットフォームづくりを目指すということですね。

山崎:そうです。今のところ、なかなかそこまでできないですね。

宮田:自分が大変なときに「こんなふうになって辛いんですよ」と言うと、それをちゃんと聞いてくれる人もいますが、そうではなく「それよりもっと大変なことがあるよ」と言ってくる人がいるじゃないですか。あれは嫌なんですが…。

山崎:それは「分かちあいの会」でもよく起きるんです。「あなたは高齢になってから旦那を亡くしたからまだ良いけれど、私は20歳の息子を亡くしたんです」というようなことを、つい言っちゃうんです。同じ大切な人を亡くしたという悲しみの共同体のメンバーであるはずなのに、悲しみ比べがはじまってしまう。つらい気持ちは本当なので、どうしようもないことなのですが、「分かちあいの会」では何度かそういうことが起こって失敗しちゃいました。だからグランドルールとして、悲しみ比べは控えましょうね、と言うようにしています。気持ちとしてはわかりますよね。やはり、「自分こそ一番悲しんでいるんだ」と誰でも思ってしまうので。

宮田:なるほど、単純に会をつくって集まりましょう、だけではしくみづくりにはならないんですね。

水内:僕らのグループ「〈もの〉と〈ものがたり〉のデザイン研究会」は、予測できないことに溢れているリスク社会のようなこの社会に、デザインは答えを出せていないんじゃないか、という問題意識からなんとなくはじまりました。予測や計算できないリスクが、誰にでもいつ起こるかわからない。しかもなにか起こった時に、かつてのように、ある型があって村落の共同体の中によるセーフティネットがあるわけでもなく、個人がそれを引き受けないといけない。こういう問題に対して、デザインは何もできていないんじゃないかと思うんです。
 死とか病気といったテーマは重たいですよね。日常的にそういうことを話したり考えたりする機会はそんなにないと思うんですが、山崎さんは、どうなるのが理想と思われますか?

山崎:正直、こういうテーマを忌避する必要はあるんだろうか、と思います。ご存知かもしれないですが、デスカフェ(Death Café)というのがあります。バーナード・クレッタズというスイスの高齢の社会学者の方が奥様を亡くしてグリーフに直面したときに、皆は死についてどう思っているんだろうと素朴な疑問を持ったんだそうです。それで、暮らしている地域のカフェに行って、「こういう話し合いをやりたいんだけれど」という感じで始まったものです。それにイギリスの社会起業家が共感して、カジュアルな雰囲気の中で死について語るというコンセプトのイベントがヨーロッパで広がっていきました。おいしいお茶とケーキを食べながら、重いテーマである死について、皆でざっくばらんに話し合う。それをカフェでやるというのが広まっているんです。日本でもいろいろな地域でやっています。
 そういうかたちで、まずは「死や死別について普通に話せるよね」ということになれば良いと思うし、少なくともこの松本地域という地域社会においては、死のことや看取りのことを普通に話していいんだ、そういう社会なんだ、と思ってもらうことはすごく重要だと考えています。だから、そういう機会を提供して増やしていくというのは、活動の第一歩ですね。

南部:なるほど、「つくる」ことにも、いろいろなフェーズがあると思いました。「しくみ化」して広がるとか、自律的に継続していくつくり方というのは、デザインにもリンクします。
 さっき水内さんが言ったリスクへの対処ということでは、たとえば津波に対しては、多分これまでのデザインの発想だと「津波よりも高い堤防をつくるにはどうしたら良いか」という解決方法になると思うんです。堤防の機能が問題とされるわけですね。でも、津波はいつ来るかもわからないし、津波が来て被害があった場合にその記憶をどのように後に残していくか、その地域でどう悲しみを共有して、再度生活を成り立たせるかといったことについては、「〈問題–解決〉型」のデザインじゃなくて、「〈物語–共有〉型」のデザインとして考えていく必要があるのではないかと思います。

 

4.語りを共有するデザイン

山崎:「〈物語–共有〉型」のデザインというと、ひとつ思い出したことがあります。以前話をお聞きしたプロジェクトなのですが、自分たちの地域についての語りを集めてつなげていくというものなんです。
 たとえば山間部は限界集落化しやすいですが、そこで暮らす人が少なくなってきたときに、じゃあ山から下りてきて平地に住んでいただこうということになる場合がありますよね。でも、生きてきた個人の歴史や、何百年も続いた村の歴史を捨てて移住することに、皆が納得できるのかという問題がある。そこでナラティブ(語り)が登場するんです。自分たちやご先祖さまたちが住んできた村の郷土史的なものも含めて、みずから発掘して、語りあって書きとめていく。その村を離れても、いつもナラティブ的にはそこに帰ってこられるというしくみですよね。年に1回か2回はかならずもともと集落のあった場所にも物理的に帰って集まるんだそうで、そういうかたちで人びとの語りを引き出してつなげていくという活動は、まさにひとつのデザインではないかと思いました。僕はそこからすごくインスピレーションをもらって、死別体験をして孤立してしまった人たちの語りをつなげていくことで、同じ地域で同じような苦しみに直面する者同士として助けあうのが当たり前という「〈物語–共有〉型」のしくみができないかなと感じているんです。

南部:限界集落の問題は、「〈問題–解決〉型」で考えれば移住という結論になると思いますが、それだけでなく「〈物語–共有〉型」のデザインも必要ということですね。

水内:村の共同体で共有される語りと、死別のようなパーソナルな経験にもとづく語りとは、少し違うのかもしれないですが、いずれにしてもそこにもう少しモノの視点を入れていきたいなとも考えています。
 以前、大阪の民族学博物館で『2002年ソウルスタイル』という特別展があったんです。そこではソウルの李さんという方の一家のくらしの持ち物、家具調度や衣類から、給与明細から成績表まで、ソウルの高層アパートに住む李さん一家の暮らしが考現学的な手法で展示されていました。ただ、その展示について書かれた『2002年ソウルスタイルその後 –李さん一家の3200点 
[2]』を読んでいると、最後の方に、そのご家族の仲が悪くなっていく姿が描かれていて、それが印象に残ったんです。「どうしてそんな全部渡しちゃったんだ」と言って、家族の関係が壊れていく。展示物のひとつひとつは、日常的な普通のものなんですが、じつはそういうモノが家族の物語みたいなものをつくって、家族をつないでいたんですね。
 よく、「高齢になってから引っ越すとよくない」とか言われますよね。住宅をリノベーションする時も、まったく新しくするのではなく、昔のものを残しながらリノベーションしたほうがいいとか。何かそういうこと、パーソナルな物語と共同の物語との関係を今ここではうまく説明できないですが、生きていくということに対してどうネットワーク化できるのかということが、少し見えてこないかなと思ったりします。

山崎:たしかに、モノや場所には、個人の生の履歴が刻まれているんですよね。だから高齢者の場合だと、引っ越したりリノベーションしたりすると、一気に認知症になっちゃったりすることもあります。生の履歴がふんだんに散りばめられている個としてのナラティブと、まさに「このコミュニティのメンバーである」、だからこそ安心できるという共同体としてのアイデンティティのナラティブは、両方持って生きていかないといけないと思います。そこに断絶があったり、コミュニティの守護的なナラティブがなかったりするのが、今の状況なのかもしれないです。今いるこの辺りのことで言えば、神社とかお寺とか、学校とか、あとはアルプスの自然とか、そういうものがコミュニティの語りを喚起するのかなとは思いますが。

水内:このところ別の研究の一環で、福島県の奥会津にある昭和村という限界集落にリサーチに行っているんです。麻の生産地で、からむし織という工芸がある地域です。そこでは、織り手を育成するための「織姫体験生制度」というのがあって、外から来た人が1年間の体験期間として村に定住しながら技を習得するんですが、その後、そこに参加した若い人の村への定着率が高くて、高齢化してきた伝統工芸の担い手になっているそうです。
 リサーチでその村に行くと、自然がすごいんですよ。山がすぐそばにあって、豪雪地帯。でも、「豪雪になると外にも出られない、自然にはかなわない」みたいな話を村の人が話しているのを聞くと、豊かだし、なにか救われている感じがあるように思ったんです。人間にはどうしようもないというか、抗うことができないような、雪とか自然の感じがあるんです。自分にはコントロール不可能という状況がそばにあることが、じつは逆に自分が何かを受け入れたり、良い意味で諦めがついたりするということがあるように感じます。それが都会での生活とちょっと違うんじゃないかな、と。都会にももちろんいろいろなどうしようもないことはありますけど、山の自然のようにどうしようもないということではない。都会で感じる生きづらさと、豪雪地帯の生活の大変さは違うかもしれないですが、なにかそこにヒントがあるんじゃないかと思います。

宮田:よくわかります。私は5年間札幌に住んでいたんですが、札幌にもたくさん雪が降るので、人がおおらかなんですよ。小さいことですが、冬場は本当に暴風雪のせいで会社に2時間くらい遅刻するなんてことがあるみたいですが、雪のあまり降らない地域では仕事に2時間の遅刻なんて考えられないじゃないですか。それが、「雪だからしょうがない」となる、みたいな。
 東京に住んでいた間は、あらゆる自然現象を飼いならして人間が住める場所をつくってきたことを、わりと無意識に享受してきたんですけど、それが常識ではなかったと感じました。札幌に引っ越して最初の雪の冬を過ごした時に知ったんですが、たまに1日で何十センチも積もったりするんです。「雪なんか溶ければ水なんだから、たいしたことないんじゃないの」と最初は思いましたが、溶けないんです、氷点下だから。そういう、自然はどうしようもないという感覚は、経験しないとわからなかったなと思いました。都会に暮らしていると、そういうどうしようもなさから離れすぎてしまうように思うんです。人が死ぬことなんかもどうしようもないことなんですが、つい忘れている。

山崎:そうなんですよね。先ほど、リスクに直面することに対してデザインはまだなにかできるのではとおっしゃっていましたが、医療なんてまさにその塊です。死んだり病気になったりするリスクはつねにあって、今のところ死は克服できない。近現代の医学は不死のプロジェクトなので、限りなくリスクに備えることを目指していますが、少なくとも今の段階で考えたら、それは夢物語です。だから、備えられるリスクと備えられないリスクの線引きがとても重要です。みんなに来ちゃうし防ぎようがないこと、「しかたがない」と割り切るべきところ、そういう部分に関しても医療にはなにかできることがあるといってやっているのが、緩和ケアなんですよ。だから緩和ケアには、死を防ぐという発想はない。死自体はリスクではない。そうではなく、死んでいくにあたって、その人が自分らしく死んでいけないとか、すごく不幸になるとか、苦しみが増してしまう、というリスクは最大限抑制していこうということなんですね。

 

5.緩和ケアと近代の価値観

南部:緩和ケアの定義を僕はあまりわかっていないんですが、今伺ったような緩和ケアと、死生学で語られるグリーフケアというのは、そういう考え方が出てきた流れは一緒なんですか?

山崎:流れとしては一緒と言っていいと思います。ただ、緩和ケアは厳密に言うと、エンド・オブ・ライフ・ケア(終末期医療)とは違うんですよ。今は、終末期医療の代名詞として緩和ケアと言われることが多いと思うんですけど。厳密には緩和なので、身体的であれ精神的であれ、痛みを和らげるような医療であれば緩和医療、緩和ケアで、死に臨んでいるかどうかは前提条件ではないんです。ただ、WHOが2002年に提示した緩和ケアは、命を脅かすような重大な病に直面した者に対して身体的・精神的・心理的・それからスピリチュアルなケアを患者本人と家族に対しておこなうのが基本的な定義となっているので、死生学の中でおこなうような死別体験者の支援などの考え方とは、基本的に同じ方向を向いています。家族もちゃんと対象に入っていますし。

水内:デザインでは、「問題をデザインで解決する」とよく言いますよね。社会のいろいろな問題について、小さなものから大きなものまで。たとえば「椅子が座りづらい」「じゃあクッション入れましょうか」と、問題をデザインによって解決するがデザインのプロセスです。だから、学生にデザインを教える時にはまず「問題を見つけなさい」、「その問題を解決するデザインを提案しなさい」という考え方がベースになる。
 でも、考えてみると、問題というのはそんなにすっきりとは解決しないんですね。たとえば、交通渋滞が起こるから新しく道路をつくればいいというように、モノがなかった時代にはモノをつくれば良かったかもしれない。でも今のデザインが解決しなければいけない問題って、人の精神や地球環境など、そんなにきれいさっぱり解決することが可能かというと、はなはだ怪しい。おそらく、デザイナーが持っていなくて医療とか緩和ケアとかの人達が持っているだろうなという観点は、「問題を解決する」というアプローチでは難しい問題に対する対処の仕方なのではないかと思います。

南部:多分、近代デザインも近代医療も、根底には「啓蒙された人間はすべてをコントロールし支配できる」という考えがあると思うんですね。だから似た構造になっている。死が一番のリスクで、医療はそれを回避して解決することを目指します。しかし回避が無理となった後の緩和医療でも、残されたリスクをどう排除するかみたいな発想だとしたら、やはり近代の延長線上にあるのかなと思いながら僕は聞いていたのですけど、どうなのでしょう。

山崎:どちらも入り混ざっていると思います。まず先に言っておかないといけないのは、緩和ケアというのは今のところまだマイノリティだということです。医学の圧倒的マジョリティは、やはり不死のプロジェクトなんです。すべてのリスクをいつかは解決・予防できるという前提がある。でもそういう立場でないと、冠動脈バイパス術のような、「この人は心臓の血管が詰まっているみたいだから、胸を切り開いて、詰まっている部分を迂回できるよう、他の血管を裁縫してつなげよう」なんていう手術は生まれないわけです。デカルトの霊肉二元論の考え方以来、身体と精神が分離されてしまい、医療は身体のことしか考えていないのはヒドい話だと批判されたりもしますが、切り分けて考えるからこそ生まれた多くの医療技術があり、それによって救われている人も多いわけですから、必要ではありますよね。
 でも、その批判にもわかるところはあります。近代主義的な発想というのが圧倒的に強いというのはそのとおりですし、白黒はっきり解決できない問題へのアプローチという点では、緩和ケアに携わる医療者は確かにそういうものを持っている。緩和ケアには、どちらかというと近代主義的ではない発想があります。つまり、死を受け止める。患者さんと向き合っていく中で「死んだ後どうなるんですか」と訊かれたりするわけでが、そういう答えられないような宗教的な世界観に類することにも対処していかないといけない。そうすると、近代主義的な発想だとどうにもならなくなっちゃうんです。

南部:緩和ケアに従事されている方は、ある意味で周縁にいるということでしょうか。

山崎:少なくとも今のところはそうですね。人によって緩和ケアのとらえ方は違うので一概には言えませんが、ある意味、近代主義的なもの以外も緩和ケアには含まれていると思います。パラダイムが違うというか。

南部:我々が、デザインの中心から外れてしまったところに来ているのと似ています…(笑)。

宮田:悲しんでいるんだったら、抗精神薬か何かを飲ませてハッピーになって解決、みたいなわけにはいかないですもんね。同じ想いを抱える人たちのコミュニティをつくろうとか、苦しんでいる人の話を時間をかけて聞こうとか、それを解決してあげるのではなく寄り添ったり一緒に何かをつくったり考えたりするとか、根本的には違うパラダイムですよね。

山崎:そうですね。寄り添うというのは問題の解決にはなっていないかもしれませんが、死にまつわる事柄では、それしかできないという状況がすごく多いんですよね。死別をして、「なんでこの人はこんなに若くして死んじゃったんだ」という答えのない問い。その問いに答えられないので、もう寄り添うしかないですよね。丹念に受けとめて、本人が納得いくまで対話を続けていくことも必要です。
 そういう意味では、死の領域だけではなく慢性疾患なんかもそうです。慢性疾患って、近代医療が一番不得意としているんですが、治らないんですよね。そうすると何ができるかというと、病と共に生きてもらうしかない。受け止めるとか、寄り添うとか、本当に答えのない問題への対処の仕方というのをやっていくしかない。

水内:価値観を変える、というのもありますよね。

山崎:そうですよね。死別の苦しみを「乗り越える」とか「克服する」って表現が一般的には聞かれるんですけど、当人たちはそういうのに違和感を覚えているようです。悲しみや苦しみは消えない。だからせいぜいできることは、折り合いをつけること、という感じのようです。

水内:それが決して、ネガティブなものではないんですね。

山崎:ええ、ある意味でしかたのない話だと思うので。

水内:そういうことが社会の中で共有されていけば、苦しみを抱える人ももうちょっと少なくなるような気がしますね。

南部:でも、なにか悲しいことやつらいことがあったときに、同じような経験をしている人のブログを読むことがありますよね。ただ僕には、なんというか、それではないというか、自分の悲しみを相対化するためにそれを読んでも、解決しないんじゃないかという感覚もあるんです…。

山崎:でも一方で、「私と同じように感じている人がいたんだ」ということで癒される場合もあるんですよね。

水内:ナラティブということで考えると、やはり自分の言葉でストーリーとして客観的に語れるようになって、はじめて少し対象化できるようなこともありますよね。

山崎:そう、それから、同じような体験をした他者がどう考えているのか、どう語っているのかということをきっかけとして、みずからも言葉を得ることができる場合もあるように思います。
 そういうコンセプトでつくられたものの例として、オックスフォード大学ではじまったDIPEx[3]というのがあります。Database of Individual Patient Experiencesの頭文字をとったもので、日本語にすると「患者個々人の病の体験談のデータベース」ですね。たとえば胃ガン患者の方に承諾を得たうえでインタビューをさせてもらって、その人のみずからの経験についての語りを映像でアーカイブする、といった活動です。告知された時にどんな気持ちだったか、医療者との関係はどうだったか、告知されたというバッドニュースをどうやって大切な人に伝えたか、治療の過程においてどんなことがあって、どう乗り越えていったのか、といったことをご本人が語っている映像がアーカイブされています。

宮田:映像だと、文章で書くブログとはまた少し違いますね。自分の顔が映った映像、しかも自分の病気や苦しみについて語っている映像を公開するのは、ちょっと勇気がいるような気がしますが…。

山崎:もともと、イギリスで始まったものがそうだったんです。日本でもDIPEx-Japan[4]というのが始まったんですが、やはりそのスタイルを踏襲してやっています。
 じつは僕は、それと同じものを青森県でつくりたいと青森県の知り合いの医師の方から依頼されて、つくったことがあるんです。ただ、青森という土地柄なのかはわかりませんが、「顔出し」は無しでした。ですが音声はOKとほとんどの人が言ってくれて、しかも津軽弁なので、字幕がないとわからないというヴァナキュラーなものになりました(笑)。でも、みずからの一番語りやすい言葉で語ってもらうというのは、とにかく大事だと思います。それで、「同じような体験をした人でこんなことを思っていた人がいたんだ」とか「こういうふうにこの人は自分の苦しみを表現するんだ」みたいに知る機会をネット上につくることができたと思います。少なくとも、ネットにアクセスするリテラシーのある人達にとっては提供できたかな、と。ナラティブをつなげて発展させていくような、語りをデータベース化していくという方法は、たしかにありますよね。

 

6.亡くなった人に語りかけるとは

宮田:自分の話になりますが、このところ、電話機を使って個人の語りを収集するワークショップをやっているんです。まちづくりや工学が専門の方たちと一緒にやっていて、そのワークショップのデザインを担当しています。都内の商店街とかもうすぐ取り壊される予定の銭湯とか、フィンランドではパブリックサウナや港町の図書館などにダイヤル式の黒電話を置かせてもらい、その受話器を取ると「この場所についてのあなたの思い出を教えてください」というようなメッセージが聞こえてきて、受話器に向かって自分のことを語ってもらうというものです。
 電話で話すという身体行為はおもしろくて、中にはすごく長く話してくださる人がいるんです。電話機からは相づちなどが聞こえてくるわけではないんですが、電話の向こうの顔の見えない誰かに向かって話すという身体性が私たちの側にあるんだなと思いました。たとえばまちづくりのためのインタビュー調査などで、「◯◯市についてどう思いますか」みたいにマイクを向けられたりすると、「住みやすくて綺麗だと思います」みたいに当たり障りないことを言っちゃったり、「もっと便利にして欲しい」という要求みたいなことを言っちゃったりするじゃないですか。でも電話機には、プライベートな本音というか、バイアスのかからない語りを自然に引き出す可能性があるのかなと思います。

山崎:個人のナラティブを拾いあげるという点ではすごく良いですね。電話というと、岩手県に「風の電話」というのがありますよね。東日本大震災の直後、電話ボックスをお庭につくられた方がいて、電話線はどこにもつながっていないんですが、津波で大切な人を喪った方やそれ以外の人達も全国からそこに来られて、受話器を取って亡くなった方とじっくりとお話をされるというものです。

宮田:そうなんです。「風の電話」の場合は本当にそうで、実際にはもういない相手だとしても、受話器の向こうにいることを想像しながら話せるんだろうなと思います。

南部:内容が相手に届くかどうかではなく、語ることが癒しになるんですね。

水内:電話機がそのためのインターフェイスになっているということでしょうか。それはさっきの分類で言うと、自助に近いという感じ?

山崎:どうでしょう、自助だけど互助でもあるといえるかもしれません。死者をどう捉えるかにもよりますよね。死者を不在ととらえるのか、実在ととらえるのか。考え方によっては、死者の共同体の成員との互助という言い方もできそうですが…。

水内:死者との互助、なるほど…(笑)。

山崎:評論家の若松英輔さんは、「死者は不在ではない」とおっしゃっていますね。実際に大切な人を亡くされた方の話を伺っていると、本当にぜんぜん不在じゃないんですよ。物理的にはいないんだけど、新たなかたちで絆をつくってつながり続けているので、遺族と呼ばれるような人達にとって死者は実在であると感じることが少なくないようです。生前とは違う形だけど、やはり一緒に生きていて、お互いに影響しあっているというという感じがあります。だから、もちろん現実世界的に言えば単なる自助に見えるんですけど、意識の面では互助ともいえるのかもしれない。

宮田:たしかに、そこのところの感覚は二重になっていておもしろいですね。亡くなったご先祖さまがお盆に帰ってくると言っても、私は心の底から死者が帰ってくると思っているかというと、そうでもないです。でも実家の玄関で迎え火や送り火を焚いたりするし、それを疎かにするとご先祖さまに申し訳ないような気もします。非科学的だと思いますし、一方で普段なにか感覚的なことに対して「科学的じゃないぞ」みたいに批判することもありますが、そうは言いつつお盆はやる、みたいな(笑)。それは共存しても良いんじゃないかという感覚があるんです。

山崎:それに、日本は伝統的に死者儀礼が豊かですよね。たとえば法事って、亡くなった人を偲ぶだけでなくて、故人を皆で偲んでその話をしていくことで、生者のネットワークも定期的に形成されるようになっています。生者と死者の両方のネットワークをつくっていくみたいなところがあるように思います。
 Centre for Death & Society(CDAS)[5]というイギリス最大の死生学のセンターがバース大学にあるんですが、そこのセンター長のトニー・ウォルターさんを日本にお招きしたとき、とてもおもしろい講演をしてくださいました。彼は、“Japanese care for the dead.” だけど “British remember the dead.” って言ってました。西洋人は追憶はするが供養やケアはしない、日本人は死者を供養・ケアしている、と。たしかに、日本のお墓参りとか法要とか、そうですよね。アメリカやイギリスだと、お墓には行くけれど回想して少し話しかけておしまいみたいな感じで、やっていることは追想、追憶という感じですよね。亡くなった人のお墓に定期的に花を供えたり、毎日仏壇にご飯をお供えしたりして、死者をケアするというかたちとはやはり違うように思います。

宮田:日本だと「夢枕にご先祖さまが立って…」なんていうことがあって、なにか大事なことを教えてくれたりするイメージがありますが、西洋ではあまりそうは言わないような気がしますしね…(笑)。

山崎:日本に限らずアニミスティックな民間信仰的なものが入り込んでいる文化においては、「草場の陰」的な話がありますよね(笑)。死者も実在という感覚が日常の中にあるんでしょうね。

南部:文化によって、グリーフケアのかたちが違ってくるんですね。

水内:個人的には、自助の可能性に興味があるのですが…。死者との互助という考え方はおもしろいんですけど、あらためて自助の可能性はどうなのでしょう。自己責任論ではなく、自助にはどういうことが可能なんだろうかと思うんです。

南部:ここまでの話だと、死者も生者と対等に存在しているととらえている点で、自助ではなくなってしまいましたもんね(笑)。

山崎:どういう見方をするかですよね。近代主義的に見たら、やっぱり自助ですから(笑)。先ほどのウォルターさんも、ケアなのかリメンバーなのか「どっちか」という話ではないとおっしゃっていました。主に重点がどこにあるのか、ということでしかないですね。

南部:今お話を伺っていて、メディアの役割には2つのレイヤーがありそうだなと思いました。たとえばお盆の話だと、モノとしては茄子だったり胡瓜だったりというかたちかもしれないですが、同時にそれはケアのためのメディアでもありますよね。モノが、どうにもできない事態に対処するためのメディアでありデザインでもある、と言えるのではないかと思うんです。そう考えると、リメンバーのためのメディアとケアのためのメディアが合わさったかたちでデザインできると、近代医療の次につながりそうな気がします。
 メディアってすごく重要です。さっきの電話もそうですし、思い出のモノもメディアだし。山崎さんが制作された冊子も、紙のメディアですよね。この冊子も、つくっているプロセスや、それを配っていろいろな人に広がるということが重要なのかなと思いました。

山崎:そう、大事です。とくに僕は、研究者として参加型アクションリサーチというかたちで関わっているつもりなので、重要なのは結果以上にプロセスなんです。参加型アクションリサーチって、みずからの立場を決めて社会的な問題を特定して、そこで苦しんでいる人達と共に、なるべく研究する側/される側という関係性を超えて、できるだけ対等に協働して状況改善・社会変革をやっていくということだと思います。このプロセスを経て、問題の当事者である市民の間に、「自分たちはこんなふうに社会を変えていける、問題を改善できるんだ」というエンパーメントが起こり得るんですよね。
 ただ、参加型アクションリサーチではもちろん結果も大事です。で、この結果ないし成果を評価するのが非常に難しいです。単純に量的に測定することができない部分があります。だけど、活動(アクション)というプロセスを続けていくことで、同じ志をもつ人々がどんどんとつながっていき、問題が少しずつ改善されていくはずなので、とにかく続けることが重要だと思ってやっています。おっしゃる通り、プロセスこそが実は地域を変えていくみたいな気持ちがすごくあります。ゆっくりですけどね。

 

7.地域への愛着

宮田:そう伺うと、先ほど見せていただいた冊子の見え方も変わってきますね。このかたちになるまでの膨大なプロセスがあるわけですから。あ、今気づきましたが、表紙のイラストが、信州版らしくちゃんと日本アルプスの山の絵になっているんですね。

山崎:そうそう、元のスコットランドのものも、ちゃんとスコットランドらしさがあります。地元らしさというか、みずからが愛着を感じているその地域らしさってすごく大事だと僕は思っています。
 以前、川崎市の市民大学講座みたいなところで、死生学についての話をさせていただく機会があったんです。高齢者を中心に100人くらいの方々が受講してくださいました。そのときに、「自宅に愛着がある人?」ってお聞きしたら、結構手があがったんです。ところが、「ご自分が住んでいる町に愛着がある人は?」と聞くと、数人しか手があがらなかった(笑)。そうか、自宅に愛着はあるけど町に愛着はないんだなと思って、おもしろい発見だったのですが、僕はもっと町に愛着を持って欲しいという気持ちがあるんです。

宮田:町っていうのは実態がわかりにくいのかもしれないですね。町内に知り合いがいっぱいいるとか、子供の頃の思い出がいっぱいあるとか、あるいは駅が好きとか景観が好きとかいったことが複合的に織り混ざっていて、とらえどころがない感じがします。

山崎:「じゃあ川崎市はどうですか?」と聞くと、もう少し多く手が上がるんです。続けて「神奈川県は?」といってもあまり変わらないんですけど、「日本は?」っていうとまたたくさん手があがるんですよ。日本という国への愛着というレベルと、自宅への愛着は強烈にあるのに、その間、つまりコミュニティへの愛着がすっぽり欠けていて希薄なんです。日本人はOECD諸国の中で社会的孤立が一番という調査報告がありましたが、そういうところがコミュニティへの愛着の希薄さにすごく影響しているんじゃないかと思いました。私自身は地域の愛着というのを意識していて、この冊子でも松本市内から見える北アルプスの景色とか、県内の植物、例えば水芭蕉などを、メンバーの中で絵心のある人が娘さんと一緒に描いていただきました。

宮田:なるほど。地域によって差もあるのかもしれないですが、地域への愛着の薄さはあるのかもしれないですね。でも本当は、自分では普段自覚していない愛着というのもあるのかもしれないですが。

南部:さっきの電話のワークショップなどは、丁寧にやっていけば、そういう普段自覚していないような地域に対する愛着のような語りを取り出すことができるのかもしれないですね。

山崎:地域の違いという点では、信州の人たちにはわりと地域への愛着があるんじゃないかと思います。例えば、「信濃の国」という長野県の県歌があるんですが、ほとんどの県民が歌えると言われています。あと、この辺りでは、大学進学の際に県外へ出て行っちゃうことも多いんですけど、卒業後に帰ってきたいという子がそれなりに多いようで、愛着度は低くないように思います。そういう文化もあるので、なるべくそういったものは活かしたい。

水内:今、まちづくりの分野などでも、どうやって地域への愛着やシビックプライドを高めていくのか、という取り組みは結構おこなわれていますよね。

宮田:地域のメディアづくりのワークショップのことなどをお話しすると、安易な感じで「シビックプライドってどうやってつくれるんですかね」と訊かれることもありますけど(笑)。

山崎:私の場合は、根本的にシンプルな目的があって、なるべく社会的孤立がない社会をつくりたいと思っています。社会的孤立を防ぐというと、まず「絆」ということがよく言われるじゃないですか。でも、「絆」には、もうひとつ読み方があるんです。送り仮名で「し」ってつけると、なんて読むかご存じですか? 「ほだし」って読むんですよ。「情にほだされる」の「ほだし」です。「絆」ってもともと馬の手綱のことで、人の行動や自由を縛りつけるものという意味があるんですよね。だから、「絆」を求めるんだったら、「絆し(ほだし)」を覚悟する必要がある。現代の言葉で言えば、(自己を抑圧したり否定したりすることなく)プライバシーを諦めるといった部分がないと、やはり社会的孤立が解消された社会というのはつくれないんじゃないかな、と思います。
 さらに、そのためにはソフト面だけではだめなんです。モノ、つまりハード面がとても重要です。町をどうデザインするか、家屋をどうデザインするか、といったことがすごく重要だと思います。唐突ですが、オランダに行かれたことありますか? アムステルダムとかで、家屋を見てなにか特徴を感じたことがありませんか?

南部:僕の印象としては、カーテンもなく、すごくオープンな感じかなと思います。窓がすごく大きくてカーテンをしないので、リビングルームが外から丸見え(笑)。

山崎:オランダにかぎらず、たとえばイギリスでも、リビングルームにはレースのカーテンくらいはするものの、外の通りから中が見えるようになっていることが間々あります。でも日本の家屋ってそういう感じじゃないじゃないですか。「ここまでがうち、ここから先は外」というふうに閉じている。
 一方で、外の通りから中が見えるというのは、他者との関係が始まっちゃう可能性を空間的に残しているということじゃないかな、と感じるんです。イギリスなんかでは、階級にもよりますが、だいたいリビングルームに座っているおじいさんやおばあさんが結構ちゃんとした格好をしていたりする。他人に見られても恥ずかしくないような。他者にいつ見られても、あるいは誰かが窓から中を見てコンコンとノックして、ドアから入ってきて話がはじまっちゃうようなことがいつ起こっても良いように服装を整えるし、空間的にそういう可能性がつくられているように思うんです。

宮田:うーん、でももともと日本の建築って、土間とか縁側のような、内と外の境界が曖昧なところがあったはずですよね…。

山崎:そうですよね、それがなくなってきてしまった気がしています。だからそういうハード面を変えていかなきゃいけないと思いますし。
 やはり人が流れるだけではなく、流れができて交わっていくような都市のデザインがないといけないんじゃないかと思うんです。人が流れるデザインは東京にもいっぱいありますが、交わらずに流れ続けるのではなく、交流するには、立ち止まる必要があるんですよね。そう思って見てみると、ヨーロッパの都市はベンチがとても多いことに気づきます。駅前の広場みたいな場所で、知らない人同士が隣り合ってベンチに座っているようなことがよくありますよね。それでなんとなく話がはじまって、「あなたそんなことやってるの?」みたいに関係がつながっていっちゃう。そういうハード的な環境というのが、残念ながら松本にはあまりないんですよ。車での移動が中心なので難しいんだと思いますが、本当はそういうハード面も含めて変えていくことと、ソフト面で人と人をつなげていくことの両面をやっていきたい、という気持ちが強くあります。

宮田:そこにベンチがあれば座るかもしれないし、たまたま知らない人と隣り合わせに座るかもしれないし、そこでしゃべるかも、仲良くなるかもしれないという可能性を残すという考え方、いいですね。ベンチを置かない時点で、なにも開かれていないわけですから。そういう可能性があると思うと、モノっておもしろいですよね。

南部:コトだけでなく、モノもリンクしながらなにかつくっていくというのは、重要なことだと思います。

宮田:D. A.ノーマンが『誰のためのデザイン?』の増補・改訂版で、「本能のレベル」「行動のレベル」「内省のレベル」ということを書いていますね。モノには使い勝手や機能性だけでないレベルでも私たちに働きかけてきます。たとえば本能のレベルでは「フサフサしていて気持ちいい」とか「甘いものが快く感じる」という情動的な側面があるし、内省のレベルということでは「この時計はレアなモデルなのでお気に入りです」とか「あれはおばあちゃんの形見なんです、私にとっては言葉にならない価値があるんです」ということがある。
 さっきの愛着の話とつながってくるんですが、地域にあといくつ保育園をつくると待機児童が何人減らせるといったことと同時に、本能レベルや内省レベルで地域のデザインを考えていく必要もあるのかなと思いました。

水内:すでに「愛着をデザインしよう」みたいな話はここ数年ずっと言われ続けていますよね。エモーショナリー・デュアラブル・デザイン(Emotionally durable design)とか。うまくいっているかというとよくわからないですが、たとえばモノのうしろにあるストーリー、「この服の繊維がどこの畑でどういうふうにつくられているか」ということが見えれば愛着が増える、みたいな話はたくさんありますね。ユーザ参加型のデザインのような考え方もありますし。

南部:そうですね。メディアに関して、誰でも表現できる社会におけるリテラシーが必要だと言われるのと同じように、誰でもデザインできるとか、相互にケアするリテラシーが成長するべきだ、といったことになってくるんでしょうか。

水内:そういう役割を担う人は、ファシリテーターと呼ばれるのかメディエーターという言葉なのかわかりませんが、デザイナーという言葉ではなくなってくるのかもしれないですね。

山崎:地域ぐるみのグリーフケアやサポートという文脈だと、伴走者という役割があるのかなと思います。個別の語りを受け止める役と、その語りをつなげていくという意味では、メディエーター的な役割でしょうか。そういう役割を担える人を、地域でどれだけ養成できるかということが大事なのかなと思ってやっています。それは、専門家を養成するというのとはまたちょっと違う話ですよね。

水内:生活者としてそういうマインドを持っている人が増えると、少しずつ社会が変わるんじゃないかという気がします。

山崎:そうですね。トップダウンなかたちではなく、生活している人たちがそれぞれの地域でそこに合ったかたちをつくっていって、いずれそれが全国に広まっていって最終的に日本全体をカバーする、というのが理想です。

南部:たしかにそのとおりです。デザインの問題としても、ぜひそこのところは考えていきたいですよね。今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。

 

[1] http://www.hbshinshu.jp/leaflet
[2]
 佐藤浩二 他著『2002年ソウルスタイルその後 –李さん一家の3200点』INAX booklet、2012年
[3] http://www.healthtalk.org/
[4] http://www.dipex-j.org/
[5]
http://www.bath.ac.uk/cdas/


プロフィール:山崎浩司(やまざき・ひろし)

所属:信州大学医学部保健学科
役職:准教授

1970年米国ワシントンD.C.生まれ。上智大学比較文化学部卒、英国エディンバラ大学大学院社会政治科学研究科修了(優等修士号(社会人類学)取得)、京都大学大学院人間・環境学研究科満期単位取得退学(後に博士号(人間・環境学)取得)。
京都大学大学院医学研究科研究員、関西看護医療大学看護学部専任講師、東京大学大学院人文社会系研究科特任講師を経て、2011年10月より現職。
専門は死生学、医療社会学、質的研究法。死別や看取りの困難に直面した人々にとって共感的で相互支援的な地域コミュニティの形成(まちづくり)を目指す参加型アクションリサーチ(信州・松本地域の有志市民との共同)、死・医療・原爆などがテーマのマンガを題材にした死生学的考察、壮中年期の配偶者死別の研究などにとりくんでいる。